【空爆を止めるためのスペース#24】希望をつくること。🕯小山田浩子さんとお話。#Freegaza の文字起こし

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1月4日に新土さんと小山田浩子さんのお二人が行なった上記リンクのスペースの文字起こしです。

一人で作業を行なったため、誤字脱字、抜けなどあるかもしれません。随時編集いたしますので、その際はご指摘いただけると幸いです。

 

(小山田さん)よろしくお願いいたします。小山田浩子と申しまして小説を書いているものものです。広島で生まれ育って今もずっと広島にいて、小説を書いたり、あと子育てもして生活をしているというような、立場の者です。皆さんよろしくお願いします。

(新土さん)お願いします。ありがとうございます。さっき小山田さんと少し通話をした時にも、お話にあったんですけど、今日、大変な状況の中にいる方もいらっしゃると思うのでなんていうんですか、お見舞いというとその適切かわからないけど、そういう方を思うことを。

(小山田さん)そうですね。

(新土さん)はい、自分もそれを一言言えたらなって思ってました。

(小山田さん)本当にあの、被災された方は状況的に今これを聞いてらっしゃるかどうかわからないんですけど、もしかしたら友達がとかご親戚がとか、あと昔訪れたことがある土地がとか色んな遠近感であの被災に皆さん心動かされてるんじゃないかなと想像するのでそういった皆さんにまずは深くお見舞いを申し上げたいと私も思います。

(新土さん)はい、そうですね。本当に大変なときにでもこうやって一緒に聞いてくださろうとしてくださってる皆さんありがとうございます。皆さん本当にありがとうございます。何から話せばいいんだろう。自分は今日せっかく小山田さんと話せてるから、小山田さんのいろんな話を自分が聞けたらなって思ってるんですけど。今日の自分のスタンスとしては、もう本当にいろんなことがあって、一言で言うと希望作るようなことをやらなきゃなって思ってるので、心の面でも現実的な面でもその、苦しい方はたくさんいらっしゃると思うし、自分もちょっとガザと西岸の、この一週間くらいかなり深く連絡を取っていて本当にひどい状況になってるんですけどでも今こそ、希望を捨てないというか、希望を作るようなことを小さくても熱い火を作るようなことをやりたいなっていう風に今日はそういう気持ちになっているのでそういう時間になればなと思っています。

(小山田さん)そうですね。この1週間ぐらい深く連絡を取っておられたっていうのは、やっぱりSNSを通じてとかメールでとかっていう感じになるんですか。

(新土さん)そうですね、西岸には友達がたくさんいて、その自分が8月までいたというのもあって、ガザの中にアリヤさんという友達がいるんですけど、アリヤさんもかなりひどい状況にあって、実はその物を書いていて紙とか文章を書いていて、あのレファアトさんという詩人の方が殺されたという状況だったんですけど、そのレファアトさんの教え子で、すごく何かを書くっていうことに思いがあるし、個人的にはその彼女のテクストにはすごく才能があるなって、結構何年も前から思っています。なので、それで、アリアさんとはDMとかでやり取りしてて、西岸の友達とはインスタのDMでやり取りしてるような感じですね。

(小山田さん)やっぱり状況は今も良くはなってないと思うんですけど、酷さが重なっていっているというか、増していってるっていうような感じなんですよね、きっと。

(新土さん)そうですね、本当にそれを何て言うかな、本当に今これたくさんの方が聞いてくださってるから今日は希望を作ろうっていう気でいるけど、状況はひどいですね、10月のその最初の最初から、本当に酷かったんですけど。そうですね。通話とかのメッセージでもお話っていうか、書いてくださってたみたいに広島でスタンディングに立たれたりとか、あの何人か自分の友達でもいたんですけど、原爆ドーム前のところに参加したりとか。

(小山田さん)そうなんですね。

(新土さん)うん、はい、そうです。この間、小山田さんがどんな気持ちだったとか、書くことも含め自由に何でも話せたらなと思います。

(小山田さん)そうですね、まずですね私は多分、日本の多数の人と同じようにそもそもそんなにパレスチナの問題、イスラエルとの関係、ガザのことっていうのに、あんまり意識がいっていなかったんですね、今まで生きてきて。たまにニュースで聞くよね、ぐらいの感じ。問題があることは知ってはいるけど、具体的な内容っていうものは全然わかってなくって、最初、今回去年の10月に報道されたときも、最初の日本の報道は基本的にハマスが始めたみたいな報道だったじゃないですか。なんか丸腰の市民、音楽フェスタを襲ったみたいなことだったので、あらあらあらっていう気持ちだったんですけど。冬乃くじさんっていう小説家の方がいらっしゃって、私はこの方の作品はたまたま関わっていた文学賞の候補作として拝読したことって、あの、候補作として読んでるときはどなたか知らなかったんですけど選考が終わってこの方がこの作品を書いたって名前が出たときに、私がすごくいいなと思った作品をお書きになってた方が冬乃くじさんって方だっていうのがわかって、それで冬乃さんのツイッターSNSだったりとかを興味を持って拝見していたときに、冬乃さんのポストで、あの新土さんの活動のことを彼女が言ってらっしゃったんですよ。

それで、そのときハンガーストライキをしている友人がいるっていうことで、すごくインパクトがあってそれで初めて新土さんのポストを拝見したり紹介されてる本を読もうと思ってたりっていうところで、本当に意識としてはごくごく浅いというか短いというか立場なんですけど。それで見てる中で広島でもスタンディングであったりキャンドルアクションであるとかをしている日があるっていうのを知って、参加してみようと思って。だから私は何かスタンディングであったりデモとか何か主導する主催とか運営とかの方に関わってるということでは全く無くて、そういう場を作ってくださっている方がいるその場に行って参加できる日に参加できる時間に参加しているっていうだけなんですけど、今広島では原爆ドーム前で毎日、Vigil for Gazaという言われ方をしていて、Vigilというそれ自体は「お通夜」とかそういう意味なんですが、基本的にはスタンディングのことをそういう言われ方をしていて。

5時半から7時までの間、毎日誰かがいて立っていると、それに誰でも自由に行って参加できるというのをされてる方々がいて、それに行ける時、でも、本当に何回かしか行ってないんですけど私夫がいまして、夫の方が私よりも何回もスタンディングとかには行ってるんですけど、これ単純な理由で私の家が郊外にあって、原爆ドーム前が遠いんですね。夫が勤めているのは街中の方に近いので仕事帰りに行けるっていうので、ちょっと私の分も行ってきてねみたいな感じで行ってくれてるみたいな日が結構あって。広島の原爆ドーム前でやってるものについて言うと、例えば非常に重要な本として挙げられている『パレスチナ民族浄化』っていうイラン・パペの書籍があるんですけどその翻訳者の一人である田浪亜央江さんという方がいらっしゃって、この方は元々中東とかパレスチナの研究をされてる、あの大学の先生なんですけど今広島の市立大学っていう大学にいらっしゃって、この方とか、あとは同じ広島市立大学の院生の方でレベッカ・マリア・ゴールドシュミットさん、レベッカさんって皆さん呼んでらっしゃるんですけどこの方はユダヤ系のアメリカ人の方なんですよ。曽祖父母、ひいおじいさんおばあさんがホロコーストで亡くなってる犠牲になってる方で、お父さんはイスラエル出身だったりとかして、元々どちらかというとそのユダヤ系の教えの中でどちらかというと、文化的に育ってきた方なんですけど、パレスチナの問題のことを知って学ばなきゃいけないっていうことですごく考えてらして、その方がたまたま今広島にいらっしゃって学んでらして、このレベッカさんとか、あの広島っていう土地なので、海外から来た方が平和を学ぶ平和や原爆についてとか学ぶっていうためのNPOがあってそういうところの代表してらっしゃる方で、マラカイ・ネルソンさんっていう、この方もアメリカから来た方なんですけど。

あとはまた同じように大学の先生、市立大学の先生で湯浅正恵さんていう方がいらっしゃって、私が知ってる限りの主要メンバーの中にいらっしゃる方々というのは今言ったような方々で、たぶん全部じゃないと思うんですが、私が知っている方々ですが、この有志の方々が多分持ち回りでとか、行ける人がっていう形で毎日立ってるっていうのが今広島で行われているVigil、スタンディングですね。

私が行ったのは本当に何回かちょっとだけなんですけども毎日行ってるよっていう一般参加の方もいらっしゃったりしてプラカードとかメッセージを持ったりとか地面に並べて、それをライトで照らしたり、できることについて書いたチラシを配ったりとかっていう活動してて。私が行って少ないときは5人くらいだったりしたんですけど多いときは20人とかもっとたくさん来てる日もあるらしくて今日も立たれてたみたいなんですけど今日はすごく人数が多かったらしく。すごいたくさんの方が来て話を聞いてくださったり、一緒に立ってくださったりしたっていうのを毎日行ってらっしゃる方のツイートでさっき知ったんですけど。

(新土さん)レベッカ実は友達でJewish Voice for Peaceという、Jewish Voice for Peaceの主要メンバーがジュディス・バトラーなんですけど、アメリカでは。ユダヤ人のルーツを持っていてシオニズムに抗していたり、イスラエルに反対する勇気を持っているとても大きな団体です。イスラエル大使館前でレベッカたちに出会って何ヶ月も前、もう時間の感覚がおかしくなっちゃってて、ずいぶん前のことに感じるんですけどそこで赤い涙のアクションを一緒にやってる仲間とかに会ってという感じで。でも田浪さんが広島でそういう活動に参加されてるっていうのは今初めて聞いて。

(小山田さん)そうなんですよ、ご存知じゃなかったですか。

(新土さん)自分は面識全くなくて、今の話を聞いてすごい励まされました。

(小山田さん)多分私は他の人からすると時々顔を見かけるなっていう人で、いちいちこういう仕事してますとか名乗ったりはあまりしてないので、知ってくださってる方とか気づいてくださる方もいるんですけど、皆さんからしたら私は多分時々いる人って感じだと思うんですけど、田浪亜央江さんは例えばイベント、キャンドルアクションだったりとかっていうときとか、あとチャリティーの音楽イベントとかもあったんですね年末に、そういうときとかもマイクを持ってみんなに対して声をかけてくださるすごく心が動くようなスピーチをしてくださる。

なんていうんですかねやっぱりそういう場にいる人は、そもそも一定程度興味を持ってる人が多いですけど、例えば原爆ドーム前とかだと、観光客の通りすがりの方っていうのがたくさんいらっしゃるんですよね。ドーム前だと、海外から来た方もすごくたくさんいるし日本国内の人もいるんですけど、そういう場所でも、例えば日本語が多分わからない方がいらっしゃるんですけど、田浪さんやレベッカさんがそういう方に呼びかけをしてくださったり。私がいたときにあったのは海外から来た旅行者の方が、「それでも始めたのハマスだろう」みたいなこと多分英語で我々のプラカードとかを見ておっしゃってそういうとき日本語だったらこちらも何か、もうちょっと言えるけど英語だと中々っていうところで、すっと田浪先生とかレベッカさんが対話を始めてくださって、かなり長いこと話して、多分、5分10分とかずっとその方とお話されてて最終的にその方が納得されたのかはわからないんですが。でも終始喧嘩じゃなく、対話ですよね。話してらして、その間に最初は「いやお前らが間違ってる」みたいな雰囲気だった方が、立ち止まってちょっとうなずきつつ聞いたり、あとはそれを目にした別の外国から来た観光客の方が「彼は間違ってると思う。私はあなたたちに賛同する」みたいなことをおっしゃって、ちょっと場ができるみたいなのは多分広島のドーム前っていう土地だから、場の力、そこにそもそも広島が持ってるストーリーっていうか、歴史っていうものが、割とシームレスに繋がる話ですよね。

土地としてはすごく意味がある場所として向き合えているのかなっていう一方で、立ち止まってくださる方が結構外国の方なんですよ。日本の人もいっぱい通るしドームって結構市内の広島市の繁華街の割と中心に近いところにあるから、普通に通勤の人とかもバンバン実は通る場所なんですよ。ですけどそういう人たちもなかなか止まってくれてる人っていうはすごく少ない。ただ、いらっしゃらないこともなくて、気にはしてるんだけど、私にできることなんてないでしょみたいな感じのことをうちの夫が行った時は言われて、いやいやみたいな感じで不買運動とか例えば署名活動がって話をしたっていうようなこともあったりとか、そういう方にチラシをっていうのもあるんですけど。

本当に多分広島市民だろうなっておぼしき人が一番関心がちょっと低いような気はしてしまっていて、なかなか広島の人は平和に興味があったり、平和教育っていうのをみんな受けてきてると思うんですけど、よその県の人よりも、にも関わらず、そういうことに興味がないのかなっていうのは、今までもちょっと思うことはあって例えば、昔エッセイとかに書いたこともあるんですけど広島って投票率がすごい低かったりするんですよ。現在でも。

(新土さん)日本中どこも低いけど、そうですね。

(小山田さん)その中でも全国の平均でも下回ってる回が多いんですよ、むしろ下から数えた方が多分早いくらいの国政選挙という感じで。本当に今世界が平和で日本が9条ゴリゴリに守っていてって状況ならまだしも、今非常には危うい橋を渡ろうとしたい人がたくさんいるっていう状況下で選挙にみんなが行かないっていうっていうところは、そもそも平和に興味があるっていうのは本当なのかっていうような、市民に対して私はいま自分も含めて広島市民に対して、ちょっと不信、そういう点においては、あんまり真剣さを感じられてないところがあって、それがスタンディングに立ってみて、新たな、パレスチナ、ガザ、民族浄化、虐殺、止めたいっていうその切り口を持ってみて、悲しいかな裏打ちされてしまっているような気がありはするんですけど。

(新土さん)なんていうか、そのことも含めて、多分さっきおっしゃってたエッセイっていうのが何のことかもわかるなっていう気もしたんですけどその「書く」ということも含めて聞いてみたいなと思うんですが、今の話と広島っていうこととパレスチナを繋げて話すと、私初めてパレスチナの西岸のある場所に行って、占領が酷いヘブロンっていうところに行ったんですけど、そこの今でもものすごく親しくしてる友達に、パレスチナの中の本当に占領が酷いところに行って一番最初に出会って、結構危ないことがすごくたくさん、かなり危ないことがたくさんあって戦慄してて、出会って一番最初に言われたこと第一声で言われたことはその時もちろん今みたいな空爆とか一切ないときだったんですけど、本当に第一声で言われたのが、「ここで起きてることを広島長崎と同じように考えてくれ」って言われたんですよ。もう本当に占領がひどすぎて、だからそれはすごく残っていて、自分もそのハンガーストライキも含めて、かぎ括弧日本の市民の人たちあらゆる人、その各人たちも含めてさっきの小山田さんの言葉で言うともう危ない橋を渡ろうとしてるどころか、もう橋が崩れてるっていう風に自分は思っていて。

そういう中で、なんかいきなりコアな話かもしれないけど、小山田さんにとって今みたいな時代とか、この社会で起きてることも含めて「書く」ってどういう意味を持たれてるとか、どんな風に感じられているかってどういう感じでしょうか。

(小山田さん)そうですね。何かしら、多分、やっぱりみんな、気持ちはすごくあって、少し前に立ち上げられたCulture Against Apartheidの声明文とそれに伴う署名活動っていうのがあったと思うんですけど、それとかも結構広がりだしたら、私署名した方の名前とかを時々バーって見てると、知っている小説家の方もいらっしゃったり自分で作品読んでる人とかもいらっしゃたりして、やっぱりみんな何かをっていう気持ちはすごく自分も含めてあるんだなと思って、何かした方がいいし、したいっていう気持ちはやっぱりみんなすごくあるんだなっていうところは思うんですけど。小説じゃないですけど、ここ何日かばあっと広がってる漫画家とかイラストレーターの方がwith handalaですよね

(新土さん)私のパートナーがやっていて。

(小山田さん)そうなんですね。パレスチナの漫画家の方の作品に書かれている少年をオマージュじゃないけど思いをはせて自分の絵をっていう。あの、すごくお正月前後にばあっと広がって、いろんな方が書かれてるなっていうの私も、あの、タイムラインで見てて、こんな人も、結構すごく有名な方とか人気がある方とかもだし、まだアマチュアなんですけどって方からいろんな方が書かれてたりとかして、つまりやっぱりそのプラットフォームであったりそのきっかけ、フォーマットっていうのかな。フォーマットがあったら、名前をあげたりとか、自分も賛同したいとか、絵で賛同したいって人がたくさんいるんだなっていうのが、ちょっと改めて発見って言ったら何でしょう、みんなしたかったんだなっていう。でもこういうきっかけがないと難しかったんだなっていうのをまず一つちょっと思ったんですよね。

なんか、なんていうか例えば名前は、自分もそうですけど書いたり絵を書いたりって人が、それまでずっとなかなかそういうこと言ってきたかっていうと、そういうこと言って、今まで言うきっかけが多分なかった人も、ああいうフォーマットで自分の名前で、そういうことをするって人がいっぱいいたっていうので、やっぱり何かそういう思いがあるっていうことと実際に何かをするっていうことの間には結構ちょっと距離がやっぱ誰しもあって、そこを超えるっていうところのきっかけはなんなんだろうっていうのをちょっと自分でも思ったし、そのことがこういう問題に対して、広がるのにすごい重要なのかなって思ったっていうのがまず一つそれがそういうことをどう思うかっていうところで。次にそれを、自分が書き手としてそれを書くことにどう繋げるかみたいなところだと、思うんですけど、なんていったらいいのかな例えば私は小説家なので、このパレスチナの問題すごく問題がある、みんなに知ってほしい、思ってほしいから、そういったものを作品としてじゃあ自分が今後書くかていうと、誰かが見てこれはパレスチナのことを書いてますね。パレスチナの問題をみんなに伝えるために書いたんですねって、多分わかる形では、私は書きにくいかもしれないってちょっと思ってて。できる人もいるもいると思う、する人もいると思うんですよ。例えば、みんなの心を動かすように、そういったことを題材にして、書くっていう人もいると思うんですけど、自分がそうかっていうとそうじゃないし、言い方が難しいんですけど、そうじゃない自分が駄目かって思ってるかっていうと実はそうでもないっていうところがあって。ただじゃあ自分はそういうことは何も考えずに、書きたいように書きますよって思ってるかっていうとそれも違うんですよ。

だからwith handalaとかはそのフォーマットがあるからみんな描けたけど、あれ以上のことをみんなが自作でストーリーでやるかっていうとやっぱ難しい。小説も、名前を使って自分賛同しますって言ってもそうするか難しい。けど、それは思いがないわけじゃないっていうところで、多分みんな葛藤を今しているところだと思うんですよ。

で、あの、ちょっと話がずれるかも。自分の話をすると、私は広島で生まれ育ってまして、祖母が被爆者なんですね。私は被爆三世にあたるんですよ。そういう立場で広島にいて、私が小説家デビューしたときに地元の人とか、いろんな取材の人とかが来て、何を言われたかっていうと、原爆のことは書きますかって聞かれるんですね。で、被爆者の方からお仕事でお話する機会があった方から、手を握りながら書いてくださいねって言われたこともあるんです。実際私も書きたいし、頑張れば書けると思ってやろうと思って資料とか見ようとかしたこともあったんですけど、なんかうまくいかなかったんですよ。もちろん能力が足りないとか取材が足りないとか、いろんな理由は言えるしできる人もいるんだろうけど、私はそういう何かを人に伝えたいとか、知らしめたいとかっていうところからスタートすることができないんじゃないかなっていうことが、ちょっとずつちょっとずつ自分に向き合っていってわかってきたところで、でもそこに興味がないわけでもやっぱりないっていうところで、でも最近ここ何年かそういう話を何度も人としてきて思ったのは、でも、私は基本的に今まで書くときに何か自分が見聞きしたものとか、今生きている現実からいつもスタートして書き始めていて、そこを一生懸命細かく見るとか、深く思い出すとか、言葉を一生懸命考えて、あの、1個1個積み上げ重ねていくっていうことをしているときに、そこに直接書いていなくても、それは広島のことを書いているんだっていうような気持ちになっていったんです。

(新土さん)ものすごくよくわかります。

(小山田さん)なんか逃げてるみたいに聞かれるかなとか思うときも相手によってはある。私はやっぱり被爆者の孫だしそういう場所で生まれ育ってきて、そういうことを思っているっていうことは私が真摯に書けば、それは絶対繋がるはずだと現実として同じ世界を書けるはずだと。それは私にとっては広島でもあるし、そして、それはその先には、当然距離的には遠いかもしれないけど、私が思っていて知ってもう今知ってそういうどうにかしたいって思いがある以上それはガザにも繋がってるんだという気持ちでいるし、そういう風に今後も、やっていくしかないっていうと、ちょっとネガティブに聞こえるかもなんですけど、一つちょっと誇りを持ってというか、そういう風にやっていくんだという気持ちではいて、だから、でも、表面上わかりやすいものを、これは戦争のことを書いてるこれはパレスチナ問題について書いてるってあの、ドキュメンタリーとかそういうものはまた違うと思うんですよ。いろんな現実の。でも創作っていうところにおいて言うと、そういうことが自分の身近にある小さなこととか、目の前にあるちょっとした、もうすぐあの石一つ、葉っぱ1枚とかも見つめていったら繋がるんだっていうのを私はそう思っているけど、でも、わかりやすく、そういうものを求められる言葉に、創作をしている人は触れることもあると思うんですよ。そういうものを書いてくださいよ、書かなきゃ駄目じゃないかとか。そういうのがプレッシャーみたいになるときとかもあってそういうのを持って、書かなきゃ書かなきゃってなると逆に何も書けなくなると思うんですよ。どういうものでも。だからそれぞれの距離とか自負とかを持って真摯に書いていけば、それはちょっとでも繋がっているし、ちょっと繋がってたらそれはやっぱ同じ世界なんだみたいなことはすごい思います。ちょっと説明があの。

(新土さん)いやものすごくわかりますし、何かを題材にしてるものは自分も好きじゃないし、それって絶対伝わる言葉から、読まないですしそういうなんかでも、なので、文化とか芸術ってものすごく抽象的な力だと思うんで本当に心の深い場所で通路みたいに繋がる力が小説にも詩にも、別の芸術にもあると思うので、ものすごくわかりますおっしゃってること。なんか同時にその中でも、今こうやってお話できてるのが小山田さんがスタンディングに立たれたりとか、なんていうかな、今話してることも含めて実際に誰かと対話したりしたプロセスを経て自分でそれを求めようとしているっていう部分もあって何が言いたいかっていうと芸術とか作品の力はものすごく抽象的な深いもの、何が書かれてるかわからないものであればあるほど強いっていうものってあると思うんですね。絵とかだと私マーク・ロスコっていう画家がすごい好きでロスコの絵とかもすごく感じるものがあって、多分ロスコの作品が小説だったらもう何書いてるかわからないって感じだと思うんですけど、でも一方で思うのがまずガザの政治的な状況、経済的構造的な問題。そして今の苦しんでる人たちのその現実的な状況って本当に酷くて構造的に絶滅収容所の中にその広島の原爆の2倍以上に相当する火薬がもう既にもう70日ぐらいの間で落ちていて、何が言いたいかっていうと例えば目取真俊さんとかもなんていうかな、本当に幻想的な作品とか本当にその小説の力のこともやられてきたけど、でも、現実ってものを書いたり、実際にそのボートとかカヌーでその辺野古の基地のことに反対するってことをされているからこその背中っていうか、その人の姿を私はすごく尊敬してて、なのでその個人的に言うと文学とか日本の芸術とか文化の世界の中になんか、それぞれの作品は何か精神的な場所も含めて誰にも触れさせないもので、本当にいいと思うんですけど、なんかそれはそれとして現実的な行動とか、その業界を超えて横断的に何ていうかな、協力したり、今の日本の状況に本当に抗していくような、その文化的なスキーム、横の繋がりそれがほぼ存在しないんだなっていうことをこの90日間本当に痛感していた所。Culture Against Apartheid、公開してる以外にもすごくたくさんのかなり著名な人からも連絡が来てるんですけど、本当にみんな勇気がある人が自分をボロボロにしながら個別に戦っている状況が多く起こっていて、なので、なんか芸術そのものがとても深いとても抽象的なものすごく不可侵の誰にも触らせないものになると同時に、現実的な行動とか対話として、いろんな人が横の繋がりとかシームレスに世代も、国籍とか人種とかジェンダーも超えて、繋がってその権利とか、暴力に抗していくようなことを誰かがやらないと本当にすぐ酷い時代になる、ていうかもうなってるっていう風に自分は感じていて、さっきおっしゃってたことはもうものすごくよくわかります。

(小山田さん)難しいんですよねやっぱりその作品って。自分でも何を自分が書いたのかわからないところが誰しも多分あるじゃないですか。そこで、これは何よって言ったときに、いやこれはパレスチナのことをって言うことは中々言えないと思う。それは誠実であっても言えないことはあって。あとはやっぱりみんな間違えちゃいけないってすごく思ってると思うんですよ。間違えたこと書いちゃいけないとかもそうだし、あの、間違えた行動しちゃいけない、その、それによって変な目立ち方をしちゃいけないとか、間違った反応を引き起こしちゃいけないっていうのが、多分私とかは小説家としては全然、そんなに何て言うんですかね、大きい名前ではないと思うんですけど、もっともっと本当に細々やってると思うんですけど、すごく影響がある、名前がすごく知られているっていう人であればあるほど、やっぱり動きにくいところはあるんだろうな。その、作品的にも社会的にも、とすごい思います。好きな小説家の人っていろんな人、いろんな年代の人が私はいますけど、そういう人がみんながみんな声を上げてるかっていうとそうじゃない。でも、あの人たちがこの件をどうでもいいって思ってるわけがないとも思うんですよ。

(新土さん)そうだといいですけど。いやそういうことにしましょう。

(小山田さん)例えばすごく何かを考えてるとか、これからの自分が、それこそすごい作品を準備してるとか何か発表する場を何か作ろうとしてるとかなのかもしれないし、本当になかなか動きにくいところなのかもしれないし、わからないですけどね。でも、何もないとは思いたくない。なんかそれこそ、例えばいろいろな問題が日本も世界もあるじゃないですか、たちまちのことで言うと、あの震災に対してどういうふうに支援をしていくかとかってこともあるし、例えば沖縄の問題も日本だとありますよね。ってなったときに何か。声が、存在が大きい人ほど多分何か言うと、こっちのことは言わないのかみたいなことを言われることとかも実際目にするじゃないですか。パレスチナって言ってるけど沖縄無視かよみたいな、それも言いがかりだし、別にそっちを言ったらそっちはどうでもいいなんてことは絶対ないんだけど。

(新土さん)むしろ同じ問題ですよね、完全に。

(小山田さん)何かそれこそ例えば、「震災で大変なのに外国の事を言ってる場合か」みたいなめちゃくちゃなことで大きい声で言う人っていうのはやっぱりいて、だからそういうとこで、そういうことを招きたくないみたいな気持ちは正直すごくわかりはするんですけど、でもなんかでもやっぱそれでもちょっと何かしたり、できることがあるってみんな思ってしたらいいのになっていうのは、いち読者というか、いち人間としてすごく今感じるところで。

ちょっとまた広島のお話をしてもいいですか。1月2日にデモがあったんですよ。本当にもう数日前ですよね、この火曜日にあって、私もやっぱりさっき言ったレベッカさんとか田浪亜央江さんとかマラカイさん、湯浅さんとか広島でミュージシャンの方であのパンクロックっていうの、私あんま音楽詳しくないですが、ガイさんってすごい有名なずっと平和のこととかに声を上げてらっしゃる方とかがいらっしゃって、そういう方も来てっていうデモがあったんですよね。広島の本当に中心部、広島にパルコあるんですけどパルコの裏から原爆ドームまで歩くっていう。その間にミュージシャンの方がたくさんいるから太鼓叩く方、ウクレレ弾く方っていうのが横断幕持って歩くっていうのがあって、1月2日だから、例えば町の繁華街、みんなとても大きい福袋を持って歩いてるとかすごい人いて、やっぱ初売りとかに行ってる人とかがたくさん歩いてる中を警察官に誘導されつつ、歩いて行って。でも私以前、全然別のイシューについてのデモに行ったこともあったんですけど、そのときは結構関心を持たれてない気持ちになりながら歩いたんだけどこの1月2日は完全にもう、あの「広島パレスチナ連帯デモ」っていう名前で完全にパレスチナ問題についてみんなに知ってほしいっていうデモだったんですけど歩いてる人たちも何となく興味を持ってくれてる感をちょっと感じたんです。

(新土さん)ありますよね。街頭の反応から勇気をもらうの。

(小山田さん)もちろんね邪魔そうな人もいましたし、うるせえなみたいな、あのしぐさ、耳を手で覆って嫌そうな顔する人もいらっしゃったりもしたけど、割と店の人がお店の外に出てきて、ちょっと手を振ってくれるっていうとか。私は横断幕持つ係になったんで、基本的にはよく見えなかったんですけど、チラシも結構受け取ってくれる人いたとかっていうのも聞いてでも、それを例えば音楽があって明るかったとか、そういうことかもしれないし、その何となく親しみを感じられたかもしれないし、やっぱり単にみんなパレスチナのことを実は思ってて、「あ、デモやってるんだ」だったのかもしれないし割合はもちろんわからないんですけど、でもちょっとすごくいい反応に感じられたんですよ。だからみんな興味があるのかなって思うんですよね。このデモのこととか動画がその編集されて短くなったのが今Twitterとかで見れるので、もしあの今日見たら多分私が3日ぐらいに多分リツイートとかしてるはずなのでもし興味があったら見ていただいて、すごくかっこよく編集されてるんですよね。うん、なんか温かい感じが多分伝わるんじゃないかなって思うんですけど、そういうのもあって、一緒に歩いてくる人とかも飛び入りで外国の方とかいたりしてだからさっき私は広島の人は関心が持てないって言ったけど、でもちょっとずつ変わってそのなんていうんすかね、さっきすごい希望のことをおっしゃったと思うんです。やっぱ希望も、それは全然知らないところから、知ってはいて何かあるって知ってるけどでもやっぱ知らないっていうところからでも目にすることで、やってる人がいるんだって思うことで、ちょっとずつ状況が変わってると思うので希望的な観測かもしれないですけど、そういったスタンディングで立ってるとかデモを見かけた人がいるとか、そういうところからちょっとずつしていく、やっぱり1人でも増えるみたいなことができることの一つ。それは広島でやることで多分、海外の人とかにはインパクトとしてはあるのかなと。で、何かそのデモは海外のメディアでも何か取り上げられたとかっていう声もあったりして。そういうところは少しずつ今後も参加できるときはしていきたいなみたいなことを思ってます。

(新土さん)私も、なんか、ありがとうございます。すごい励まされて、あの本当に希望を感じるなと思ったんですけど、なんだろう、この本当に90日とりわけ最初の方ですごく言っていたのが何ていうかな。自分はその小さな人々っていう言葉を使ってるんですけど、アレクシエーヴィチがよく小さな人々って言っていて、本当に明らかに最初の一、二ヶ月とか、本当に大変な状況だって言ってるその中で、なんだろう、反応してくれたり声を返してくれたり、すごい学んだりしてくださった人は、本当に社会の中で弱い立場の人だったり、別に肩書きも何もないような、別に表現をやってるわけでもないし、必ずしもパレスチナのことをそれまで知らなかった人とかも本当に苦しい状況になってる人が路上に立ってくれたり、実際に大使館前に来てくれたりとか、なんか自分もその全然デモとか、あんま行ったこともなくて、それまでは、でもたまたま友達が、いて書いたりしていてこの間までパレスチナにいてだからやっぱり私自身すごく罪悪感を感じててそれで始まったんですけどその、ハンガーストライキとかも。でも本当に小さな人々にすごく力があるというか、さっきの小山田さんの話で言うとそのお店から出てきて手を振ってくれる人とか、うん、なんか、いつだっけな、あの、渋谷でも国連大学前っていうところからデモをやったときは結構たくさんの人が、多分参加した人だけで4千人くらい。沿道とか、あとその周りでキャッチしてくれた人を入れるともっと1万人近い人がその日だけでいろいろタッチしてくれたと思うんですけど、そのときも声を返してくれる人とか、その本当に普通の人、市民の力っていうか小さな人々は本当に力があるし、本当に生活の中からいろんなことを導いてこのパレスチナの痛みを理解してくれてるんだなと感じて励まされました。

(小山田さん)東京は規模がすごく大きい時は大きいんですね。

(新土さん)やっぱりでも結局心があって炎がある人が集まって、考えてやるとそういう風になるけど、何にもしないと本当に熱が分散されるっていうか、やっぱそういう風になっちゃうから、そうですね。

(小山田さん)うん、そうなるほど。心があって炎があるってことそうですよね、本当に。なんか、時々1人でもスタンディングをしていますとかサイレントスタンディングしてますみたいな方の存在が、それこそツイッターとかで流れてくるときがあって、何かそういう1人で立っていいんだってあんまり思ってなくってですね、なんか場がないとって思ってたけど、もう1人で、何かビラをチラシを配るとか声をかけるとかただ黙って立ってるとかていうことがあるっていうのは発見で。そういう風なやり方もあるんだと。なんかすごいそういう存在に勇気が出るっていうか、デモで何百人何千人っていうのももちろんすごい規模で大事だし、そういうものはやっぱりメディアとかでももっと言ってくれたらいいのにとは思うけど、1人でもできるっていう、そういうのを見て私スタンディングとか、どっちかっていうと夫の方がよく行ってるってさっき言ったと思うんだけど、夫も何かそういうことをしようとして1人でスタンディングを何度か試みてみたんですよ。看板というか、プラカードみたいなの用意して。やっぱり1人で立っていると、でもやっぱり通り過ぎられると、なんかなんかチラシもなかなか渡せないとか声もかけられない。男性が1人で立ってて、声かけれるかってそれは怖いと思う人も多分もしかしているかもしれないし、そういうこと思うと言えないけどでも、もう今日はちょっと立ってみたよとかって言って帰ってきて、我が夫ながらすごいなと思って。

(新土さん)すごい、すごい。

(小山田さん)ちょっとなんか子供があれだったりとか仕事があったりとかであれば、行けるときは私も行こうと思ってちょっとまだそれには帯同できてない。だけど、そういう存在でも、チラシを受け取ってくれなかったけど目には入った人が1人でもいるかもしれないし、その人が全然パレスチナへの思いがゼロに近かった人がもしかしたら1になるかもみたいなことはやっていけたらいいなっていうか、そういう人が増えていったらいいのかなっていうのはちょっと思ったりしますね。

(新土さん)今コメントくださってる方がいらっしゃって、「私も1人でスタンディングしました。何も投稿しなかったけど」っていう風に書かれていてなんかやっぱり何ていうかな、本当に火を1人で火を灯すっていうことをやられて、でも別にそれを言わないっていう人もなんかでも、逆にそれに勇気づけられる、今それを聞いて、そうだよなっていうか。なんか、なんか今、今そのコメントを見て結構ぐっときたというか、勇気づけられました。

(小山田さん)そうですね。

なんかツイートとかで広めるのも大事だけど、そうじゃなくてもできるそれも、本当そう心が動きますよね。

うちも多分夫がそれツイートでしなかったっていうのはなんか単に防犯上の理由で家の近くで立っているからみたいなところもあったりはするんですけど、できることの範囲は人それぞれだから、立ったことをツイートするとか、いろんな範囲で何かなんていうのかなできることがゼロじゃないんだっていうことが希望なのかなっていう、すごい思いました。

(新土さん)いやあ、なんかありがとうございます。なんか結局、自分が結構勇気づけられてしまったというか、本当に地震のこともそうだしガザのことも本当に結構心とか体が壊れることが何回もあった。でもだからこそ、希望っていうか火を灯さないといけないなっていう風に思っていて本当に小山田さんと話せて、今最後にコメントしてくださった人みたいに本当に何も言ってなくても何か1人でも立って火を灯している人が、いるんだなと感じただけで暗闇じゃないっていう気持ちになりました。

(小山田さん)本当にそうですね。コメントくださった方ありがとうございます、すごい勇気を。

(新土さん)ちょうど11時くらいになって、最初一時間半くらいっておっしゃってたので結構区切りがいい感じではあるんですけど。本当にお話しできてありがたかったです。

(小山田さん)私もです。自分の話ばっかりしてしまって。

(新土さん)いえ、そんなことないですよ。

(小山田さん)やっぱり東京と地方も違うと思うし、地方も違うと思うし、いろんな場所にいるいろんな立場の人がいると思うので、それぞれのことを私ももっと知りたいなと思います。いろんな人の声も。

(新土さん)今日聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございます。小山田さんとお話できたから、やっぱり1人ということを感じ、本当に小説とか詩の力、やっぱり1人っていうところに戻す力だなって思いましたし、自分が最初にパレスチナに出会った時もそれにも文学がとても関わっていたんですけど、さすがに今ほどは酷くないけど、でも過去にも何度も大規模な空爆があって、2008年の暮れから2009年とか。そういう中でも本当にギリギリ人間は人間としての温かさとか心みたいなのを失くさないで生きようとしている、それが自分はパレスチナとの出会いだったので、文学を含めて、なくしたくないなという風に思うし、それがそういう最後に残されるような人間としてのものが壊されるようになるんだったら自分も火を灯す側になるっていうこともやらなきゃいけないなって思ってて。でも、今日は本当に小山田さんと皆さんのおかげでそういう場に少しなったかなと思うので本当に感謝します。ありがとうございます。

(小山田さん)ありがとうございます。多分これ聞いてくださってる方もしかしたら書くことをしてる人もいらっしゃるかなと思うんですけど、何かこういうことがあると、書いてる場合かなとか思うんですよ。書くっていうことは何かちょっと直接的じゃないんじゃないかみたいなことを思って、自分もそういうことを思うんですけど、そういう気持ちになって何か書けないとか書きたくないみたいに思う人も多分いると思うし自分もそういうことを思うんですけど、でもその先にってかそう思ったこともいつか書くことに多分繋がっていく人だから書いてると思うので、お互い頑張りましょうって言うと変なんだけど、そういうのをちょっとなんか励まし合ってっていうか、実際励ますだけじゃなくて心の中でお互い思いながら書くことと、こういうことを考えて生きることを両立してというか、影響しあってやっていきたいですねというのを皆さんに言いたいというか、言い合いたいと思いました。本当に良かったです。ありがとうございました。

(新土さん)ありがとうございます。

(小山田さん)いえ、こちらこそこんなにお話できることがあると思ってなかったので、すごく光栄でした、って言うとあれですね、ありがたい機会でした。

(新土さん)いや、ありがとうございます。聞いてくださった方も、皆さん本当にありがとうございました。

(小山田さん)ありがとうございました。はい皆さんご自愛ください。寒い時期ですし、いろいろ心が乱れることも実際辛い状況の方もいると思うんですけど、お互い体と心を労りつつ少しずつやっていきたいですね。ありがとうございました。

(新土さん)本当にありがとうございました。