5.18光州事件

 

今日は5月18日、光州事件から40年です。

光州はBTSのJ-HOPEや、東方神起のユノ、俳優パク・シネなど多くの芸能人の出身地なのでご存知の方が多いと思います。

最近では、映画『タクシー運転手』やハン・ガン著『少年がくる』など光州事件を取り扱った作品が日本でも注目を集めました。

この機会に光州事件についてぜひ知って欲しいと思うので、以前個人的に作成した『少年がくる』の記事を公開します。 

 

光州

『少年が来る』の舞台光州は朝鮮半島南西部に位置する人口約151万人の韓国6大都市のひとつ。光州を含む全羅道は韓国最大の穀倉地帯、食の都としても有名。韓国歴代大統領のうち金大中は唯一の全羅道出身者である。また、빛고을(ピッコウル:光の都市)とも呼ばれる光州は政治的・地理的理由から芸術や学問、食など様々な文化が独自発展を遂げたとして現在では芸郷、義郷、味郷の地として知られる。首都ソウルからはKTX韓国高速鉄道)で3時間程度。

 

光州事件前後の韓国

1979年10月26日釜馬民主抗争により政府と市民の確執が深まる最中、朴正煕が側近に暗殺される。その後、韓国では維新体制下で抑圧されていた人々を筆頭に『ソウルの春』と言われる民主化ムードが高まりを見せる。同年12月12日全斗煥率いるハナ会がクーデターを起こし、軍内の実権を掌握。翌年4月21日、江原道での炭鉱労働者と市民によるデモを契機に各地に労働争議が拡大。学生運動も同様に活発化し、5月15日ソウル駅前で15万人超の学生デモが行われる。しかし、5月17日新軍部の主導で、金大中ら政治家26人を逮捕、金泳三を自宅軟禁。非常戒厳令拡大措置によってソウルの春は終息。光州事件が勃発することとなる。

 

犠牲者数

光州事件における犠牲者数は1980年戒厳司令部発表では180人前後とされたが、2001年までに韓国政府が確認した死亡者数は民間人168人、軍人23人、警察4人、負傷者数は4782人、行方不明者の数は406人である。戒厳軍が遺体を回収し、密かに埋めたと言われているため、実際の犠牲者は政府確認数よりも多い可能性がある。2005年に5・18関連団体が発表した統計によると、全体の死亡者数は606人(内165人が抗争当時死亡、65人が行方不明、事件後推定376人が死亡)。

 

光州市展開表

5月8~14日

民族民主化聖会期間

14~15日

光州街頭デモ

16日

2万人の学生による「たいまつデモ」

17日

非常戒厳令発令

空挺部隊が全南大、朝鮮大に進駐

18日

光州事件の始まり

19日

学生に呼応した一般市民のデモ参加

20日

バス、タクシー約200台の車両デモ
放送局MBC放火

21日

放送局KBS放火 市民への実弾射撃が始まる
市民による予備軍武器庫襲撃、武器奪取
市民軍の結成→戒厳軍一時撤退

22~26日

市民軍による光州自治

27日

駐留米軍の承認、指揮下の韓国軍投入
武力鎮圧によって10日間に及ぶ光州事件終結

 

ハン・ガンと光州

1970年光州で生まれたハン・ガンは父の執筆活動本格化に伴い、光州事件が起きる数ヶ月前10歳の頃にソウル水喩里へと引っ越した。そのため実際に目撃したわけではないが、小説で語られるように光州在住の親戚から実情を伝い聞くこととなった。
ハン・ガンはインタビューにおいて小説のモデルとなった人物を聞かれ、「一対一で対応するわけではないが、ひとつひとつの出来事は全て実際に起こったことだ。」と答えている。

 

너」 (ノ:君)

『少年が来る』の中で主人公のトンホは名前よりも二人称の「君」と呼ばれる回数が圧倒的に多い。このことについて作者は、「と小説の中でトンホを呼び続けた最大の理由は私がトンホを呼び続けたかったから。少年は命を失っているから呼んでも来ることはないが、それでも呼び続ければ少しは少年に近づくことができるのではないか、という気持ちだった。」「時間を超えて繋がる話の中で、少年がという名前で一歩一歩近づいて来るような感じを与えたかった。」と語っている。

 

参考資料

ハン・ガン 『少年が来る』 井手俊作訳 

ハン・ガン『そっと静かに』 古川綾子訳

京洙 『韓国現代史』

真鍋祐子 『光州事件で読む現代韓国』

한강광주는 끊임없이되태어나고 있다

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