発達障害の話と私の話


最近ちょくちょく質問されるようになった「発達障害」の話を個人的な範囲ですがまとめたいとずっと考えていたので、体験記として残しておこうと思います。

そもそも私が発達障害という言葉を聞いたのは友人がきっかけでした。その友人の診断された経緯や、幼い頃のエピソードなどを聞くにつれて、あれ?これはわたしも似ているところがあるな、もしかしてと感じるようになり発達障害診断を受けたいと思うようになりました。

(それよりも前、就職してから鬱症状が出るようになった私は精神科に通っており、薬で治療をしていましたが正直効いている実感がなかったという話を念頭に入れておいてくれるとこの先がわかりやすいかなと思います。)

結論から言うと私はASD、ADD、OCDと呼ばれるものに当てはまることが診断の結果判明しました。この項目についてご存じない方もいるかと思うので、端的に説明したいと思います。(専門家ではなく患者なので参考までに)

ASDとは

自閉スペクトラム症アスペルガー自閉症の総称で、症状としては過集中や感覚過敏、ストレートにモノを言いすぎる等があります。

ADDとは

ADHDは注意欠陥・多動性障害のことですが、ADDは多動はなく注意欠陥のみ症状として存在します。特性としては忘れ物が多く、気が散りやすかったり、コミュニケーションが苦手等々。

OCDとは

強迫性障害のことで、わかりやすいのはいわゆる潔癖症かなと思います。その他にも順序であったり、安全確認(例えば自宅の鍵の戸締りやガスの元栓)が気になってしょうがない人もいるそうです。

発達障害の分類には他にもLD(学習障害)がありますが、私は当てはまらなかったためよく知りません。

今考えてみると、子どもの頃は一般的な子どもとはかなりかけ離れた特殊な存在だったのではないかなと思います。遅刻や忘れ物は当たり前、宿題をすることができず漢字練習に2時間以上時間を割き、時間割は自分で揃えられない、靴下やタートルネックの皮膚にまとわりつく感覚が嫌で仕方なく、回し飲みや回し食べ、箸の共有など以ての外でした。言外の意味を汲み取れないため冗談もわからず、通信簿では必ず協調性がないと書かれ、もっとオブラートに包んでものを言いなさいと言われたことも数えきれないです。ハブられてもハブられてることに気づかないような子どもでした。それでも自分にとっては自分自身が最も身近な存在だったため、自分はかなり普通の人間だと思っていました。

閑話休題、結果的に私はコンサータと呼ばれる発達障害の患者によく処方される薬で治療を行うことになりました。コンサータは神経刺激薬の一種です。簡単に言うと安全な覚醒剤のようなものらしいです。数年前にリタリンという同じ神経刺激薬が乱用され問題になったため、コンサータは持続時間が長く、副作用の少ない薬です。そのため処方できる医師や薬局がかなり限られています。主な副作用としては食欲減退や口腔乾燥、吐き気等々。幸い私には副作用的な症状はほとんど出ませんでした。そして、これまでずっと漠然と頭の中にあった死にたいという気持ちがすっかり消えました。これは私にとっては本当に革新的な出来事で、今まで鬱症状で苦しんで治療をしてきた期間ってなんだったの?というくらい日常の生活に活気が戻ってきました。わかりやすくいうと、やる気がぶわっと湧いてきて思考がクリアになったという感じです。気力があるおかげで出来ることが増え、自信が戻ってきたのかなとも思います。それまで自分のことをとんでもないダメ人間だと思い込んでましたから。

そもそも発達障害の人は社会の既存のシステムの中では生きづらいことが多いです。システムは往往にしてマジョリティにとって都合の良いものが用いられているからです。

「マイノリティである発達障害当事者が何度も障壁にぶつかっていれば自信喪失に陥り、生きづらいと感じて鬱になるのなんて当たり前です。」と、担当医が話していました。全くその通りで、つまり私の一次的要素は発達障害でありその上に鬱が二次的要素として存在していたので、根本の発達障害の方をどうにかしないとちっとも生きづらさは解消されないというわけです。この時初めて、精神科に1年近く通っていたというのに症状が改善されなかったのはそういうことか、と納得しました。鬱を抱えている全ての人が発達障害とは限らないですし、同じく発達障害当事者が鬱になるとも限らないです。ただ現状自分が苦しんでいて、自分にも似たようなところがあるかもしれないと思ったら、一度専門医に相談すると良いと思います。全国的にも発達障害専門医は少ないため、中々気軽に相談することができないのでそこが難しいところですが。この記事が誰かにとって疑問を解く糸口になれば良いなと思います。


余談ですが、医師曰く、発達障害当事者は性別違和を感じる人が多いらしいです。

私は自身の性別を女でも男でもない何かだと思っています。性的指向においても、自分にとって性別は限りなくどうでもいい要素なのでパンセクです。こういう自分自身の性質、気質に気づくようになったのはここ数年で、それまでは身の置き所がなく困っていました。

一人称もそうです。日本語は性別によって分けられているため自分のことをなんと呼んでいいのかわからず、子どもの頃は自分の名前を一人称としていましたが、中学生くらいで社会的な目を気にして男女ともに使うことがある「私」に変えました。英語や韓国語その他の言語はほとんど一人称に性別の差異はないのでひどく羨ましかったことを覚えています。ジェンダーをベースにして選択肢が奪われることも大嫌いでした。小学校入学を楽しみにしていた私はランドセルの色は緑や茶、暗めの色がいいなと考えていたのですが、母が購入してきた赤いテカテカと光るランドセルは20年近く経った今でもトラウマです。当時は今ほどランドセルのカラーバリエーションはありませんでしたが、それでも極稀に赤と黒以外の色を使っている子もいたのでその度に自分のランドセルが惨めに思えました。とにかく赤と黒という性別によって定められた色は嫌だったのです。その後中学校入学で再び壁にぶつかりました。制服のスカートです。とにかく嫌で嫌でたまらなく、毎日不満を抱いていました。せめてズボンかスカートを選びたかったですし、このような性別によって強制される、選択肢のない状況が社会にあまりにも多すぎることに愕然としました。強制されることが苦手だった私には苦痛でしかなかったです。それに加えて日本社会は躊躇なく他者の容姿や身なりに土足で踏み込んでくるところがあります。医師は欧米に行くとそういう目線を気にせず済むから、楽だと感じる患者は多いと言っていました。それでも今はもうちょっと頑張ってみようと思えます。前時代的な慣習や価値観は変化させたいですし、拒絶していきたいです。どうしてこんなことを書いたかというと、私と同じような生きづらさを抱えている人は他にも絶対にいると思うからです。そんな方に言いたいです。

今まで本当にがんばってきましたね、お疲れ様でした。

 



余談の余談

発達障害当事者の方にこの本とってもオススメです。

『ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が上手に働くための本』

なんとなく何かがやりづらくてイライラする時の原因がわかるので、自己分析に役立ちました。f:id:hoku39:20180322104946p:plain